言楽と音葉の旅
言楽と音葉の旅
ご来場ほんとうにありがとうございました。
居心地のいい、そして響きのいい、音や金時さんの空間で、一歩近づいたつくりたい世界を一緒に過ごしていただけて幸せな思いでおります。
ありがとうございました。
最近感じていることを、篠田桃子さんの「103歳になってわかったこと」の中にみつけました。
「真実は伝えられない
真実は皮膜の間にある。
これは人形浄瑠璃、歌舞伎の作者、近松門左衛門の有名な言葉です。
もちろん科学的に、皮と膜の間にはなにもありません。なにもないのにそこに真実がある、というのはどういうことでしょう。
私の従弟で、近松門左衛門が書いた「心中天の網島」を映画化した篠田正浩は、言葉と言葉の間にあるという意味だろう、と私に言いました。
真実は、言葉にしえないし、文字にもしえない。
想像力を頼りにしなければ、語れないもの。近松門左衛門は、そう言いたかったのでしょう。
たとえば悲しい、という言葉一つとっても、悲しいという感情が主体であっても、寂しさや辛さなど、ほかの感情が微かに混ざっているかもしれません。心の奥底には、本人も自覚していない安堵感もあるかもしれません。ですから、悲しい、と言葉にした時点でほかの多くの感情は失われてしまいます。伝えきれないもどかしさ、寂しさ。表現には限界があり、そして真実自体も、本人すらはっきりとわかりえない神秘的な、不思議な部分があります。真実というものは、究極は、伝えうるものではない。ですから、私たちは、目に見えたり、聞えたりするものから、察する。そうすることで、真実に触れたかもしれないと感じる瞬間が生まれるのかもしれません。
真実は想像のなかにある。
だから、人は真実を探し続けているのかもしれません。」
この度の企画に入る少し前、目にしたルミネのポスター。真っ赤なドレスに身を包んだ長身の女性が、グランドキャニオンみたいなところに佇んでいて、キャッチコピーが「言葉に頼る女ってかっこ悪い」というようなものでした。彼女の存在が何かを発信して眼も身体も、ものを言っているけれど、言葉は発していない…。
確かに言葉に頼るって、かっこ悪いと納得させるパワーを持っていました。
それで、長年魅力に取りつかれていた言葉というものへの不信が生まれました。
このたびの企画はこれが始まりでした。
それで言葉という文字を崩壊させ、言楽という造語をつくりました。
言葉と音楽の間にあるものを感じていただきたくて…
まだ旅は始まったばかり…
本当につくりたい世界に一歩近づいてみます。
クリスマス間近のあたたかなひとときを皆様とともに…。
お待ち申しあげております。